【失望しないで】について

「聖霊と火とのバプテスマ」

マタイの福音書とルカの福音書にある「聖霊と火とのバプテスマ」について、著書に記しましたが、私自身、「聖霊のバプテスマ」と同じであると思ってきました。ペンテコステの日には、「炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった」(使徒の働き2:3) ことが書かれてありますので、炎のバプテスマとも言えると思います。

しかし、マタイの福音書とルカの福音書でバプテスマのヨハネが語っているのは、「バプテスマ」についてではなく、「自分のあとから来られる方」についてです。直訳では、『その方は、あなたがたを聖霊また火でもってバプテスマなさる』となるでしょう。

ルカの福音書の文脈もそうですが、マタイの福音書の文脈では特に、パリサイ人やサドカイ人たちに「まむしのすえたち。だれが来る御怒りをのがれるように教えたのか」(3:7) と語り始め、続けて語る中で「私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります」(3:11) と言っています。

そしてまた、主イエス・キリストご自身が昇天される直前に、主ご自身のものである弟子たちに「ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」(使徒の働き1:5) と言われており、「聖霊と火とのバプテスマ」とは言われていないことからも、「火」とは「さばき」のことであると解釈する以外にないと思えました。

バプテスマのヨハネは、自分と比べてイエス・キリストは全く比較にならないほど力のあるお方であるということを語っています。

ですから、著書にある通りの解釈に至ったのです。

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