「過越の祭り」とキリストによる贖い

「過越の祭り」は、イスラエルの三大祭の一つであり、神さまによって定められた重要な行事でありました。

「過越の祭り」には、どのような意味があるのでしょうか、そしてキリストによる贖いとどのような関連があるのでしょうか。確認したいと思います。

この「過越の祭り」は、エジプトで奴隷として苦役を課せられていたイスラエル人が神によって連れ出され、救出
されたこと、解放されたことを祝う祭りと言われています。

イスラエル人がエジプトを脱出するまでに、ナイル川の水が血に変わることから始まり、十の災いがエジプトに
下されたのですが、かえる、ぶよ、あぶの大群、家畜の疫病、腫物、雹、いなごの大群、暗闇、そして最後の災い
が初子の死でした。それらの災いは、エジプトの神々に何の力もないことを示されたものであり、最後の災いは
オシリスという生命を与える神、またエジプト王の呼称がパロ (「偉大な家」を意味)  であり、パロはエジプトに
おいて神と考えられていた存在だったのですが、そのようなエジプトに最悪の災いが下されたのです。
男子の初子の死は、つまり家を継ぐ者がいなくなる、家の滅びを意味しました。そうしてたまらずパロは、奴隷と
していたイスラエルの民をエジプトから出て行かせました。

その月が月の始まりとして定められたのですが、エジプトの初子の死の災いが下る際、イスラエル人は第一の月の
十日に傷のない一歳の雄の子羊を用意し、十四日の夕暮れにその子羊をほふり、その血を羊を食べるそれぞれの家
の門柱とかもいにつけ、羊の肉を火に焼き、種を入れないパンと苦菜を添えて食べるよう、神さまから命じられ
ました。その夜に主がエジプトの地を巡り、人も家畜もエジプトの地のすべての初子を打たれ、エジプトのすべて
の神々にさばきを下されたのですが、子羊の血がつけられた家は、主がその血を見て通り越され、そこにその災い
は起こらないようにされました。

以上のことが出エジプト記12章に記されているわけですが、これが「過越の祭り」の始まりでした。この日以来、毎年第一の月の十四日に過越のいけにえが主にささげられるようになりました。その儀式について、彼らの子ども
たちがどういう意味かと言ったときは、「『それは主への過越のいけにえだ。主がエジプトを打ったとき、主は
エジプトにいたイスラエル人の家を過ぎ越され、私たちの家々を救ってくださったのだ。』」と答えるよう、主に
よって命じられました。(出エジプト記12章27節)

この「過越の祭り」はつまり、過越のいけにえ、過越の子羊であられるキリストの血によって、永遠の滅びという
さばきを免れること、罪と悪魔の奴隷状態から救い出される神の偉大なみわざ、その型としての歴史的な出来事を
覚えるものでした。

イエス・キリストの十字架上での死によって、この世の支配者である悪魔はさばかれました。その支配下にある者
たちは、律法の下にある者たちであり、やはり永遠の滅び、永遠の死というさばきを受けなければなりません。
キリストの血によって贖われた者はそのさばきを免れたのです。罪と悪魔の支配する国から解放され、キリストが
支配される神の国に入れられたのです。

これが、出エジプトの物語、歴史的事実が表していることですけれども、イエス・キリストの十字架上での死は、
まさに過越の子羊がほふられる日でした。その前の夜に、最後の晩餐が持たれました。それは過越の晩餐であり、
そして主イエス・キリストご自身が制定された主の晩餐でした。
「さて時間になって、イエスは食卓に着かれ、使徒たちもイエスといっしょに席に着いた。イエスは言われた。
「わたしは、苦しみを受ける前に、あなたがたといっしょに、この過越の食事をすることをどんなに望んでいた
ことか。あなたがたに言いますが、過越が神の国において成就するまでは、わたしはもはや二度と過越の食事を
することはありません。」そしてイエスは、杯を取り、感謝をささげて後、言われた。「これを取って、互いに
分けて飲みなさい。あなたがたに言いますが、今から、神の国が来る時までは、わたしはもはや、ぶどうの実で
造った物を飲むことはありません。」それから、パンを取り、感謝をささげてから、裂いて、弟子たちに与えて
言われた。「これは、あなたがたのために与える、わたしのからだです。わたしを覚えてこれを行いなさい。」
食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい
契約です。...」」(ルカの福音書22章14~20節)

主の晩餐は、現在プロテスタントの二つの礼典の一つである聖餐式と呼ばれているものです。

使徒パウロによるコリント人への手紙第一 11章26節に、「ですから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲むたびに、主が来られるまで、主の死を告げ知らせるのです。」とあります。

完璧な過越のいけにえがほふられたのです。私たちはこの記念によって、イエス・キリストが再び来られる日まで、このお方の死を覚え、告げ知らせるのです。



※ 聖書引用「聖書 新改訳第三版」(新日本聖書刊行会)より

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