贖いのために必要なもの

贖いのためには何が必要でしょうか。

「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。...」(ローマ人への手紙3章25節)

贖いのためには「なだめの供え物」が必要です。
なぜなら、[私たち人間は何から救われる必要があるのでしょうか①]で確認した通り、 神さまは罪人に対して聖なる怒りを覚えておられ、その御怒りがなだめられる必要があるからです。
私たち人類が律法の下に置かれ、罪と悪魔の奴隷とされたのは、人類の代表者アダムが神さまに対して罪を犯した結果だからです。

神さまに「なだめ」が必要であることについて、神さまの「怒り」や神さまの「愛」などについてもそうなのですが、人間の一貫性のない気ままな感情とは全く異なるものとして受け取らなければなりません。
 罪や悪を完全に嫌悪される神さまは、それらを完全に処置なさらなければならないのです。

ですから、贖いのために神さまの怒りがなだめられることが必要であったのですが、どのようにしてそのことがなされたのでしょうか。「その血による」ということ、「キリストの血」によってそのことがなされたのです。

ヘブル人への手紙に、「それで、律法によれば、すべてのものは血によってきよめられる、と言ってよいでしょう。また、血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはないのです。」(9章22節) とあります。

「血」は、「死において捨てられたいのち」を意味します。“いのち” ではなく「いけにえの死」を意味します
いけにえのいのちが、死ぬことで捨てられなければなりませんでした。罪の刑罰は死だからです。

救い主なる主イエス・キリストは、私たち罪人の罪と罪責を負ってくださいました。私たちの罪が主の上に置かれて、身代わりに罪の処罰がなされたのです。神さまの御怒りが神さまの御子イエス・キリストの上に注ぎ出されたのです。ただ単に十字架上で死なれたということではなく、「罪から来る報酬は死」(ローマ人への手紙6章23節) である、その報酬を代わりに受けられたこと、罪を背負って代わりにその罰を受けられたこと、聖なる神さまのおそるべき御怒りを受けてくださったことを知らなければなりません。

イエス・キリスト、十字架上で「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マタイの福音書27章46節) と叫ばれました。これこそ永遠の死、最終的なさばきです。完全に神さまと引き離されるのです。現在は、生まれながらの人間も、神さまとの関係が切り離されてはいても、神さまの御手が及んでいる世界にいます。
けれども、最終的な罪の刑罰は、神さまとの完全な断絶です。実際に神さまとの完全な断絶は、想像に及ばない恐ろしさです。
主イエス・キリストは、父なる神さまとの断絶、父なる神さまの御怒りをその身に受けられ、完全に父なる神さまと引き離される、というその恐るべき刑罰を身代わりに受けてくださったのです。

聖なる神さまにささげられるいけにえは、傷も汚れもないいけにえでなければなりませんでした。
主イエス・キリストは、神の律法を完璧に守り通され、父なる神さまに完璧に従われ、「実に十字架の死にまでも
従われました。」(ピリピ人への手紙2章8節)
一つでも罪を犯したならば、罪人の身代わりとなることはできません。身代わりとなることができるのは、傷も汚れもない、聖なる義なるいけにえでなければなりません。主イエス・キリストがそのいけにえです。そうして罪の処罰が完璧になされたのです。

聖餐式において、私たちはパンと葡萄液によって主の裂かれた御からだと血を覚えます。主の死を告げ知らせます。主の死を覚えます。葡萄液について「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」(ルカの福音書22章20節) と、主ご自身が仰っておられます。その契約の中にあることを、私たちは覚えます。

私たちはキリストの血によって贖われたのです。私たちはきよいキリストの血によってきよめられ、きよめ続けられ、最終的には完全にされます。また罪を犯してしまったとしても、律法の下、罪と悪魔の支配の下に戻ってしまうことはありません。キリストの血が完璧ないけにえとしての血であったゆえであり、このキリストの血以上に高価な身代金の代価はないからです。

決して忘れてはならないことは、ご自身の御怒りのなだめのために、完璧なまことのいけにえを遣わしてくださったお方、愛するひとり子を私たち罪人のために遣わしてくださったお方が、聖なる神さまご自身であられることです。


※ 聖書引用「聖書 新改訳第三版」(新日本聖書刊行会)より

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