私たち人間は何から救われる必要があるのでしょうか①

私たち人間は、何から救われる必要があるのでしょうか。

新約聖書のローマ人への手紙1章16~18節には、このように記されています。

「私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。」

重要なのは「神の義」、「神の怒り」です。福音のうちには「神の義」が啓示されていることを知っているでしょうか。そのことを知らなければ「信仰」とは何かがわかりません。キリスト教の中心教理は「信仰義認」ですが、その意味がわかりません。

私たちは「神の愛」という言葉はよく耳にします。しかし「神の怒り」について、どれだけ聞いたことがあるでしょうか。神は聖なるお方です。罪や悪を完全に嫌悪されるお方であられ、生まれながらの罪人である人間に聖なる怒りを覚えておられます。この「神の怒り」を知らずに「神の愛」を知ることはできません。

神は義なるお方です。ですから、罪に対するさばきを行なわれます。義なる神は、必ず罪に対して公正な刑罰を執行します。そうでなければ「義」ではなくなります。

同じローマ人への手紙3章25,26節には「神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現すためです。というのは、今まで犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。それは、今の時にご自身の義を現すためであり、こうして神ご自身が義であり、また、イエスを信じる者を義とお認めになるためなのです。」とあります。

イエス・キリストの十字架には、神ご自身の義が現されていることを知っているでしょうか。

先立つものは「神の怒り」、「神の義」です。私たちは聖なる神の御怒りから、義なる神による罪の刑罰から、救われる必要があることを身をもって知らなければ、救いの意味はわからないのです。


※ 聖書引用「聖書 新改訳第三版」(新日本聖書刊行会)より

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